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三日坊主
 〜フリーターになった修行僧〜




■ある噂


「ほら、うちのクラスに“K”って坊さんいただろ。あいつ今、坊主やめて、一般人になってるらしいよ」
 久しぶりに会った友人からこの言葉を聞いた時、僕は思い切りズッコケてしまった。
 “K”とは、小学生の時、わずか十二歳にして出家を決意した男である。小学校卒業と同時に、親や兄弟、ふるさととの縁を絶って比叡山の仏門に入った彼は、寺で修行をしながら学校へもしっかり通い、一般の学生に交じって、皆と同じように授業も受けていた。
 僕とKは中学・高校時代の同級生で、高三の時、一度だけ同じクラスになったことがある。その時、すでに出家から六年の月日を経ていた彼は、高校を卒業した今ももちろん、立派な坊主になるために、必死で修行に励んでいるはずだった。
 もしこの話が本当なら、その長年にわたる修行の日々が、フッ飛んでしまったことになる。大学へ入って浮かれていた僕に、これは強烈なニュースだった。若くして坊主になり、世間でも“えらい子”として評判だった彼は、中三の時にテレビ出演まで果たしたことがあるのだ。こんな滋賀の田舎にテレビ局が来たとあって、地元でもちょっとした騒ぎになり、学校では各クラスごとで上映会が行われたほどだ。
 テレビ出演から五年後に、視聴者や、制作者までをひっくり返らせるような大オチが用意されていたという訳か。あのもの静かな、白玉団子のような顔をしたKが、そんなことをしそうにはとても思えなかった。
 僕はとりあえず、その話が事実かどうかを確かめてみるため、高校時代の担任にかけ合わせることにした。
 久しぶりに来る、地元の母校である。
 寒い中をわざわざ校舎外まで出てきてくれた先生だったが、僕のしている話には全く要領を得ないらしく、「?」という表情を顔に浮かべたまま、
「誰がそんなこと言ってたんだ?アイツは今もしっかり頑張ってるよ」
 と誇らしげに言ってしまうと、満足そうにKがいるはずの寺の方を眺めていた。Kのことを信じ切っているようなその眼差しを見て、一度はそうかと諦めかけた僕であったが、自分の耳でちゃんとしたところを聞いてみるまでは、やはり納得がいかなかった。
 彼の実家は、和歌山の片田舎にある。
 少々不躾かとは思ったが、真相をどうしても知りたかった僕は、Kの実家へ直接問い合わせてみることにした。


 電話に出たのは彼の母親である。
 僕が始めに、
「K君の同級生です」
 と名乗ったにも関わらず、彼女は、
「息子とはどういう関係ですか?」
 だの、
「用件をおっしゃって下さい」
 だのと、厳しい調子で僕に迫ってきた。
 やはり、という予想通りの展開に、僕は、
「高校のクラスメイトだったんですよ」
「いや、久しぶりにしゃべりたく思い……」
 などと言いながら、必死に電話口で粘っていると、彼女はなおためらっていたふうであったが、しかし、
「息子は今、東京で暮らしてます」
 と、ようやく答えを返してくれた。
 結局こちらの連絡先を伝え、直接本人から連絡してもらえることになったのだが、彼女が息子のことを話したくなさそうな様子はすぐに知れた。
 僕は彼の母親を、先に触れたテレビ番組の中で見たことがある。Kのことを話す彼女は、あふれてくる笑みをこらえるのに難儀していたようで、息子の自慢話を父親と我勝ちになって話していた。
「もう見るたんびに変わっていってます」
 と言った時の、あの二人の嬉しそうな顔。Kのことならいくらでも話してくれそうに思えた。
 その母親が今、息子について沈黙している。
 Kに何があったのかはまださっぱり分からないが、彼はあの時の両親の笑顔を今も背負って生きているのだ。彼が相手にしているものは、予想以上に重いと感じた。


■Kからの電話


 緊張しながら電話を待っていた僕に、拍子抜けするくらいの弾けた声で話しかけてきたのが、そのKである。
「おっす、久しぶりー」
 突然の馴れ馴れしい、ハリキッた登場の仕方で第一声を響かせた彼は、
「おー、小森ぃ」
 と僕のことを呼び捨てで呼ぶと、さらに被せるようにして、
「ひっさしぶりー」
 とこれまたご機嫌な調子で挨拶をくれた。
 はて?
 高校時代は確か「コモさん」と、アダ名で呼んでくれていたはずだったが……。まあいいか。気を取り直して僕が、
「今何してるの?」
 と尋ねると、
「えっ、おれ今、フリーター」
 と、事も無げな調子で返事が返ってきた。
 フリーター?
 僕はその、聞き慣れたはずの言葉の響きに、再び驚いてしまった。返答をしかねて困っていた僕に、
「おれは神も仏も信じない」
 と言って口火を切ったKは、お金とは、友達とは、社会とは何か、科学とは、宗教とは、愛とは何ものかという深い部分まで、一人で一気にしゃべり立てた。
 話の中で、彼は仏教の思想を、
「せまい、せまいよ。もうマジで」
 と批判した後、今なら臆することなく仏壇を倒すことだってできると言い切った。そして坊さんのことを、
「坊主」「坊主」
 と嘲るように呼び、一度、
「お坊さんが」
 とつい口にしてしまった時でも、
「あっ、坊主が」
 としっかり言い直した。
 彼と寺との間には、完全な隔たりができていた。
 結局、Kは長距離電話だったにも関わらず、約一時間半にわたってしゃべり続けた。学生時代の大人しかった彼からは、想像もつかないことである。
 彼は近いうち、友達に会うため僕の住む滋賀の田舎へ遊びにやってくるという。僕が「どうか会ってほしい」という旨を伝えたところ、彼は快く引き受けてくれたので、僕らはようやく長い電話を置いた。


■宇宙人になった坊さん


 それから一ヶ月後の二月。
「おっす、久しぶりー」
 という例の軽いノリと共に、Kは我が家へやってきた。
 初めて見た、私服のインパクトといったらない。
 テカテカに光る水色の宇宙服のようなジャケットに、グレーのナイロンパンツ、足元は黄緑色のスリッポンで固められており、坊主頭だった髪の毛は、テレビCMの『むじんくん』に似たヘアースタイルで、完璧にセットされていた。
 宇宙人になってかえってきた坊さん。
 彼はその全身で、“坊主やめました”と語っていた。
 小麦色に日焼けした顔を輝かせてKは、
「昨日、スノーボードに行ってきてさー」
 と始める。
 普段滑りに行く時は長野まで出かけるらしいが、今回遊びに来たついでにさっそく滋賀のスキー場へも行ってきたらしい。最近自分のバイト代で、マイウェア・マイボードなど一式買い揃えたという彼は、
「今年だけで、もう七回も行っちゃったよー」
と嬉しそうに話している。
 ボードをしたことのない僕に、彼は小さな講座まで開いてくれたのだが、僕は聞いちゃいなかった。
 山で修行に励んでいた人間が、山でボードに励んでいる。
「見るたんびに変わっていく」と言った母親の言葉が、妙な具合に響いてきた。


 ところで僕らは学生時代、実はほとんど話をしたことがない。
 しかし、Kの克己的な生き方を密かに尊敬していた僕は、彼の出演したテレビ番組のビデオテープを今まで残しておいたほどで、年に一度は自分を戒める意味で、巻き戻しては見ることにしていた。一度同じクラスになってみたいとは思っていたが、実際になってみると気そびれがしてしまって、ついにちゃんと話す機会を得ずにしまった。

 ちなみに学校でのKは、それほど目立っていたという印象がない。
 とにかく、彼は寝ていた。
 一限目から六限目まで、本業は坊主だとでも言わんばかりに、休み時間を跨いで、まだ寝ていた。ここまで潔い眠り方を初めて見せられた時はさすがに僕もショックだったが、しばらく経つとそれほど気にかからなくなってくる。教師たちの方でも、叱っている最中にさえ眠ろうとする彼には、完全にお手上げ状態という感じで黙認しているようだった。たまの休み時間に目覚めているKも見かけたが、皆とトランプをしてはカモにされていた彼の姿を覚えている。

 そう言えば、彼は寝惚けついでにこんなこともやった。
 学生時代、決して頭の良い方とは言えなかった彼は、皆のマネをしてテスト前にカンニングペーパーを作り、本番中あまりにそれに見入っていたがために、教師に現場を押さえられてしまったのだ。
 即座に退席を命じられたKは、その場で定期テスト・オール0点を宣告され、一週間の停学処分になったうえに、寺の方からも大叱責を食らい、七日の間、寺の本山である比叡山の山頂に、蟄居させられたとかいう話である。
 ただでさえ話題性のあるカンニング事件に、やった本人が坊さんとあって、噂は即日全校生徒の知るところとなった。校内放送の朝礼訓話でも、
「昨日、試験中に……」
 と校長から、重々しい声で不祥事が伝えられる。
 照れ臭そうに再登校してきた彼のことを、あの日教室は大歓迎で迎えた。

 ふと気がつくと、Kは旅行カバンをひっくり返して、せっせと荷物の整理を始めている。
 几帳面にたたみ込まれた下着類、歯磨きセットに整髪剤、マンガ雑誌にゲームボーイポケット、さらには最先端をいくケータイ電話機 「ハイブリッド携帯」 と、若者の流行アイテムが次々に飛び出してきた。その一つ一つを拾い上げ、丁寧にカバンの中へ戻していく。いつもきっちりしていないと気が済まないらしい。
 何気に足の方へ目をやると、この寒いのに彼はハダシになっている。僕の知らない間に、素足を放り出していたのだ。こんなところに修行時代の名残りのようなものが感じられて、僕は思わず笑ってしまった。明らかにミカンの食べ過ぎだと思われる、開放された黄色いかかとは、磨き上げられたように光っており、これまで幾度となく摩滅を重ねてきたような観がある。
 僕が、これが元坊主の足かと思って眺めているうち、Kは何やらおかしな行動を取り始めた。顔を真っ赤にしながら、尻で円を描いているのだ。僕が、
「どうしたの?」
 と尋ねると、彼はますます顔を赤くして、
「お、おしっこがしたいんだけど……」
 と小さな声で教えてくれた。
 Kを大急ぎでトイレまで案内しながら僕は、今の行動に彼の歩んできた人生が垣間見えたように思った。


     *    *


■出家の決意


 Kは一九七九年、和歌山にある小さな町で産声を上げた。
 三人兄弟の末っ子で、兄たちとも年の離れていた彼は、いつも母親の後ろについて回っていた。信仰熱心な母親の隣に坐って、彼もよく手を合わせていたという。
 小さな頃から非常に大人しい性格だった彼は、友達とも遊びに行かず、近所の庭で暇さえあればアリの観察をしているような子どもだった。勉強の方は、理科以外には興味が持てず、といってその理科も含めてどれも成績は芳しくなかった。
 勉強ができない、スポーツができない、女の子とうまく話せない、動作が鈍くて、手先も不器用……。図工や算数課題の居残り組には決まって自分の名前がある。皆からは、
「ノロマだ」
 といつも馬鹿にされ、他にこれといった特技もなかった彼は、次第に家へこもり出すようになり、その頃普及し始めたファミリーコンピュータに熱中するようになっていく。やがて知らないうちに、「ファミコンマニア」という、あまり有難くないアダ名を頂戴していたKの胸には、しかし一つの思いがあった。
「自分を変えたい」という思い。
 その痛烈な思いは、これまでも密かに感じてきた、“このままじゃダメだ”という気持ちと相まって、日々彼の心を急き立ててくるようになった。
 そしてそんなある日、彼は突然、スターになってしまう。
 

 小学校三年になった夏休み、Kは母親に連れられて、比叡山の「一日回峰行」 という行事に参加した。修行者が歩く行者道といわれる道を、俗世に暮らす人たちも歩いてみようという定例の行事である。
 巡拝は、阿闍梨という坊さんを先達にして、その後を参加者たちがついて歩くことになる。この 「あじゃり」 という呼称は、七年にもわたる比叡山の“千日回峰行”という修行を終えた人間だけに与えられる尊称であり、それを終えた行者の数は、戦後わずか十二名を数えるに過ぎない。
 ちょうどKが生まれた年の、一九七九年にこの行を終えた阿闍梨は、同じく比叡山の“十二年籠山行”というこもりっ放しになる修行をとうに終えた現在もなお、一度として山を下りることなく、自らを律し続けているという立派な坊さんなのである。
 巡拝の最中、五十名近くいた年配の参加者たちに交じって一人、九歳という年齢で参加していた小さなKは、
「えらいわねぇ」
「ボク、いくつ?」
 などと言われながら、皆から非常にかわいがられた。おまけに阿闍梨様の真後ろに陣取って、一番先頭に歩いていたという彼は、
「将来は比叡山をしょって立つんじゃない?」
「未来の千日回峰行者だ」
 とこれまた口々に言われたせいで、すっかりその気になってしまった。
 ここに来れば、スターになれる。
 それは、学校の中で惨めな気持ちをしか味わったことのなかったKにとって、たまらない体験だった。
 その後、彼は三年のうちで二十一回あったこの回峰行に、じつに十一回の参加をすることになる。
 阿闍梨はその度に参加者たちへ向かって、
「今度、小僧に来ますねん」
 と言って頭を撫でてくれた。さらには休憩時間になると、必ずKの元へやってきて、
「小僧に来いよ。来いよ」
 と言ってくれる。
 Kは学校から帰ると、毎日必死になって般若心経を覚えた。大キライな漢字も、自分で漢字辞典を開いて調べる。
 彼の進む道は、こうして自然と決まっていった。
 Kが小学校六年になったある日、突然彼から出家の決意を聞かされた両親は、慌てて、
「中学を終えてからでも遅くない」
 と説得したのだが、彼は、
「それでは遅過ぎる」
 と言って聞かなかった。
 いよいよ来月から修行が始まるという最後の春休み、Kはもう一生のやり収めだと思い、不眠不休でファミコンをした。


■「修行地獄」の日々


 四月。
 比叡山を開創した最澄の誕生地としても知られている、ここ門前町・坂本は、閑静で豊かな自然に恵まれた景勝地でもあるが、Kには周りの景色など見ている暇はなかった。
「修行地獄」といわれる、比叡山・律院での生活が始まったのだ。
 朝五時半に目を覚ますと、まず六時からのお勤めがある。境内や堂の掃除を終え皆の分の朝食を作り、急ぎ足でご飯を食べ終えると、今度は来客への昼食を作る。接待をし自らも昼食をかき込んで、後片付けに犬の散歩、寺の外回りの掃除などを終えると、すぐに夕食の準備が始まる。食事中、私語は厳禁。箸の音一つにも神経を使い、ただすばやく食べ終える。
 就床時刻は夜十一時。一日のうちで、唯一自由な時間を過ごせるのがここになるのだが、明日の朝も早いことを思えば夜更かしはできない。毎朝五時半起床、休日なし。
 寺へ入ってまもないKには、すべての時間が恐ろしい速さで動いていくように思われた。言われたことをこなしているだけで、たちまち日が暮れてしまう。
 そしてさらに一週間後には、中学校が始まった。
 緊張しながら自分の席に座っていると、
「ワレ、なぁーんしとん?」
「しらこいのォ」
 などという、今まで聞いたこともないような言葉が、教室中を飛び交っている。おまけに昼食時間でもないのに人の弁当を勝手に開けて、メインのおかずを盗み食っているような連中が何人もいる。こんな、比叡山の山ザルのような奴らを前にして、Kが輪に溶け込めようはずもなかった。生来の内気な性格も加わって、一人も友達ができないという状況がしばらく続くことになる。
 朝は早くから起き出して掃除、学校へ行っても話す相手がおらず、初めての行事や時間割で緊張しっ放し、ようやく授業を終えたところで、また元の修行へ戻るだけの毎日。Kには少しも心の休まる時間がなかった。
 そしてしばらく後、精神と肉体の疲労がとうとう限界まで達してしまった彼は、学校生活で初めての「居眠り」をしてしまう。
 授業終了のチャイムが夢の中で響いた時、いつもより周りの景色がまぶしく見えた。休み時間が終わり、徐々に意識がはっきりしていき出すと、同時に顔色が蒼ざめてきた。
「寝、寝ちゃったよボクー!」
 彼は心の中で絶叫した。とんでもないことをやらかした、と思った。授業中に居眠りなんて、不良のすることだと思っていたのに……。
 この後まもなく、教科書を出すことさえ放棄し、後にカンニング事件を起こすまでの暴走をしていくことになるKであったが、その時確かに彼は、もう居眠りなど済まいと固く誓った。
 しかしそれもやはり束の間、これだけはいくら気を張っていてもやめられるものではなかった。初めて受け持つ、修行僧の生徒をまともに叱れない先生たちに失礼して、Kは鬼教師の前だろうが、テスト前だろうが、構うことなく眠り続け、しばらくすると居眠りが学校生活の中心になっていた。
 しかしこのことが、思わぬ幸運を呼ぶことになる。
 不良でもないのに、全く授業を聞こうとしない彼の姿に、クラスメイトの方が興味を持ち始めたのだ。休み時間のたびに何人か集まってきては、あれこれと質問をかけてくる。Kは仏門での生活や阿闍梨のこと、出家を決意したきっかけなど、一生懸命になって話した。
 話し終えると必ず皆が、すげえよコイツという目で自分のことを見ている。やがて彼がクラスの中で「こぼうず」というアダ名を授かり、中学校の人気者となっていくまで、それほど時間はかからなかった。
 ここでもう一つ嬉しかったことがある。
 それは、もう自分の大嫌いだった勉強やスポーツに、力を入れる必要がなくなったということである。体育でビリを取ろうが、テストで赤点を取ろうが、気にせず知らんふりをしていられる。
 だってボクは坊主なんだもの。
「修行」という、彼だけのハンディキャップを背負っていることが、自分に言い訳することを許してくれていた。


 さて、一方の寺である。
 菜食の精進料理と、ファミコンはおろか、テレビも新聞もない毎日にはすぐに慣れたが、肝心の修行の方がいつまで経ってもうまくいかない。呑み込みが遅く、要領の悪い彼の行動は、どうしても先輩たちの目についてしまう。
「どうしてそうノロいんだ」
「おまえはダメな奴だ」
 そんなキツい言葉と共に、容赦なく手が飛んできた。
 束の間忘れていられた惨めな気持ちが、再び頭をもたげてくる。どうしてボクはこうできない奴なんだろう。頭をひっぱたかれながら、涙がこぼれそうになった。結局ボクのいる場所は、小学校の時にいたポジションと変わらないじゃないか。
 出家をすることで、あっという間に手にできたかに見えたアイデンティティーは、やはり付け焼刃でしかなかった。Kに差し出される非難や嘲りの数々は、その後も執拗に彼の心を責め苛んでいくのである。
 しかしそんな彼にも、胸を張れることが一つあった。
 Kが寺にやってきた当時、阿闍梨が弟子のかかとを見ながら、
「おまえも小僧らしい足になってきたじゃないか」
 と口にした言葉を、彼は強く覚えていた。
 アカギレに座りダコ。
 比叡山の厳しい自然環境と、日々のつらい修行によって、かかとの皮膚はめくれボロボロになり、血マメが潰れて痛い思いをしたりもしたが、Kにはそんなことが何より嬉しかった。苦労を重ねた分だけ、かかとも一緒に裂かれていく。それは何よりも、自分が立派な小僧になっていくことの証明をしてくれるものだったのである。片時も休むことを許されない怒られ通しのつらい毎日の中で、かかとの痛みの確かな手応えだけが、彼の精神を支えていたのかもしれない。

 ところでKは、中学校の卒業文集の将来の夢にこんなことを書いている。
 「ヒマになりたい」――


     *    *


 それではこのへんで少し、寺の生活について触れてみようと思う。
 律院の中では、普段小僧たちは、作務衣と呼ばれる柔道着のような服を着て修行をすることになっている。この「さむえ」は、犬の散歩や庭掃除をするのに適しており、一年中着用を義務付けられているのだが、その下に肌着やトレーナーなどの私服を着込むという自由は許されているらしい。
 そしてここが、彼らのセンスの見せどころとなる。
 寺の中で一度、作務衣の下にパーカを着込んで、背中からフードを出すというファッションが流行したことがあった。色目こそ黒や茶色に抑えてあったが、小僧頭までを巻き込んでブームになったというこのスタイルは、阿闍梨に、
「みっともないからやめろ」
 と叱られるまで、寺じゅうを席巻していたらしい。もちろんKも例に漏れず、先輩たちの服装を見て、あっ、いいなぁ、と思い、二日に一度はマネることにしていた。ちなみに服は、信者から頂戴したり、半年に一度もらえるかもらえないかの休みに買い込んだりするので、ちゃんと自分のセンスで揃えることができる。
 しかしその頃、高校生になったばかりの彼の悩みは、その服装にあったという。
 小僧たちは三ヶ月に一度くらいのペースで、夜中にこっそり寺を飛び出しラーメン屋へ行く、などという大胆なことをやっていたそうであるが、その時いつも問題になっていたのが、Kのよそ行きの服装だった。
 具体的にどんな格好をしていたのかは、恥ずかし過ぎて言えないというが、何でも彼が登場した途端、皆が、
「K――ッ!」
 と、声を張り上げてしまう程のものだったらしい。
 流行に疎かった彼のファッションセンスが責められたのも無理はないが、年頃の高校生の心にはやはり深い傷を宿してしまう。
 自分ではかなり納得して着ていた服だったが、Kのファッションはいつも皆の笑い種となった。今でこそ彼は、
「すごく弱々しい服だったと思う」
 と言って、当時着ていたモノを振り返ることができるが、その頃はどこが悪いのかなんて全く分からなかったから、とりあえずあの服を着るのだけはもうよそうと決めて、いつもの作務衣に身を包むことにした。


■禁じられた恋


 ところでKはその前の年、始めにも触れたように、あるテレビ番組に出演を果たしている。放映後、家族や学校の友人たちは皆大騒ぎをしていたが、寺の仲間たちからは、
「おまえはテレビに出たんだからさー」
 とか、
「有名なんだから、もっとしっかりしろよー」
 などと、イヤミを言われることも多かった。
 しかしテレビ出演ともなると、やはり世間からの反響は大きい。知らない人たちから何十通というファンレターが送られてくる。そのほとんどはおばさんからのものだったというが、ある日、そこに若い女の子からの封書が奇跡的に交じっていた。
「ラッキー!」と思って開けた手紙の内容は、“テレビ見ました、えらいですね”程度のものだったが、しばらくしてから信者たちの集まるつどいがあって、その中に手紙をくれた彼女もちゃんと来ていた。
 一通り行事も済んだ夕暮れ、、
「K君、K君」
 とかわいい声で寺の裏へ呼び出された彼は、そこで生まれて初めて「愛の告白」を受けることになる。
 どうしてこんなボクに。
 彼は飛び上がらんばかりであった。
 しかし自分のことをほとんど知らない彼女の気持ちをちゃんと考慮してやり、
「テレビの印象だけで僕のこと見てるかもしれないけど、作られてる部分も多いと思うし、ガッカリさせてしまうと申し訳ないから」
 と誠実な態度を持って応対し、丁重にお断りした。
 しかしこの憎いセリフが、逆に彼女のハートを射止めてしまったらしい。
 “テレビで見た通りの人だ”と思った彼女は、もう一度強く彼に交際を迫った。「女人禁制」といわれる仏門の世界でも、禁を破って女性と交際している小僧はいるらしく、それほど珍しいことではないのだという。Kにはもう断る理由など、どこにもなかった。
 二人の禁じられた恋が、こうして始まった訳である。
 彼らが会えるのは、彼女がお手伝いとして寺へやってくる月一度に限られていたが、Kはそれでも満足だった。
「掃除をしてきます」
 と言っては彼女のそばまで行き、人目を気にしながら、わざとゆっくり掃除をする。彼は舞い上がったまま、普段寺でしていることや阿闍梨のことなど、毎度同じようなことを話すのだが、それでも彼女はいつも真剣になって彼の話を聞いてくれていた。
 こんなボクでも女の子と話ができるんだ。
 寺の後弟子にさえタメ口を聞かれてしまうような彼にとって、それは確かに嬉しいことだと言えた。
 しかしKは彼女に対して、いつも後ろめたくなるような気持ちを感じていたという。元気に立ち働く彼女の姿を見るにつけ、申し訳ないような気にさえなってくる。
 修行をしていることだけですべてをOKにしてしまえた時代は、とうに過ぎ去っていたのだ。


■坊主として、自分として


 僕らの通っていた高校は、宗門系の学校だったため、修行をしながら学校へ通う生徒たちが、彼の他にも何人かはいた。「宗内生」と呼ばれる彼らはK以外、寺の後継ぎとして坊主になることが義務付けられている人間たちなので、Kとは明らかに立場が違っている。
 しかしそんなことに興味を示さない僕たち周りの生徒は、彼らのことを一括りにしてしか見ていなかった。おまけにそれぞれ皆、自分たちのファッションや流行を追うことに夢中になっていたため、はっきり言えば坊さんのことなどどうでもよかったと言ってよい。Kが昔、テレビに出たことさえ知らない連中がほとんどだったし、また知ったところで大した話題にもならなかっただろう。
 中学校でちょっとした有名人だった彼は、自分が特別視されることもなく、冷やかしのように、頭を撫で撫でされる程度の扱いをしか受けないことに苛立ちを感じていた。律院に来てくれる信者のように、皆にも信仰心があれば、それだけでボクらはヒーローになれるのに、と唇を噛みしめる毎日だった。
 こうしてKの中で確かなものだった価値観が、急速に崩壊されていくことになる。
 あの最澄でさえ、出家をしたのは十三歳の時だといわれているが、それよりもさらに一年早い、十二歳という年齢で寺に入ったKは、「いずれは阿闍梨になる人物だ」と言われて、大いに将来を期待されていた。
 出家をする前からすでに般若心経などサラリと言えたという彼は、その美声にも定評があり、阿闍梨様からはよく、
「こいつのお経はピカ一ですわ」
 と誉められては、信者の前で披露させられていたらしい。
 統率力の欠如や行動力の低さなど、頼りない部分は確かにあったものの、いずれは比叡山を背負って立つ人間として将来を見込まれていた。
 しかし高校という社会の中で、坊主であることが何の役にも立たないということを知った彼が、現実に受けたショックは大きかった。
 律院のエリートが、ただの一学生になってしまうという落差。Kには急に修行をしていることが、何の意味もないことのように思えてきた。
 ボクはいずれ千日回峰行をして、いつかは阿闍梨になるんだという夢を持っていたが、今もしそれを口にしたところで皆からは、
「それが何だ?」
 みたいに言われてしまうに決まってる。お経なんかウマくっても、何の意味もありはしない。
 そうして彼は、今まで眼を瞑っていることのできた自分の低い学力や運動神経の鈍さと、まともに向き合わなければならなくなってしまった。
 何年間も修行に明け暮れていたために、何だか非常な遅れをとってしまったような気がする。以前にも増して落ち込んでしまった学力に、これまでしてきた修行など何の埋め合わせもしてはくれないのだ。
 明日の苦労を思うだけでいっぱいだった一人きりの布団の中で、彼は毎晩のように考えるようになった。他にボクができることって何だろう。普段はとうに眠っているはずの大事な時間を使ってあれこれ思い巡らしてはみるものの、頭には結局何の考えも浮かんでこない。
 ボクはこの五年半、一体何をしてきたのだろう。
 ああー。
 夜ごと漏れる彼の重いため息は、Kにとって坊主というものが、いかに隠れ蓑に過ぎなかったかを示していた。
 夏休みを終えた教室の中では、皆それぞれに、大学だ専門学校だと騒いだり、学校案内のパンフレットを見たりして、受験や進学の話で盛り上がっている。うたた寝をしているKの耳に日々飛び込んでくる、彼らの下宿や、サークルや、コンパやという言葉を聞いているうちに、Kは何だか自分が坊主だけの男のように思えてきた。
 そして翌月行われた進路アンケートに、彼は突然こう書き入れるようになる。
 ――大学志望。
 普通、律院にいる小僧たちは、高校を卒業すればそのまま寺の学問所へ入るものとされており、それを蹴って大学に進学するなんていう話を、K自身も聞いたことがなかった。
 しかしこの時、彼には他の選択肢など浮かばなくなっていた。
 このまま自分を騙し騙ししていきながら、坊主になったってダメだ。周りも自分も納得させたうえでやる修行でなければ、意味がない。
 ボクが律院出身の大学生、第一号になってやる。
 東京にある「T大学」なら、これまでと同じように修行をしながら学校へ通うことができると聞いている。学校の仲間たちの話では、朝から晩まで拘束はされることはないそうだ。そう、そこで、今までできなかったこと――部活やサークル、お酒にカラオケ、それに、女の子とコンパなんかをして……、ウハウハ。


■破門


 受験シーズンをこっそり間近に控えた一月、彼は延し延しにしていた阿闍梨への申し出を済ませようと、布団の中で決意する。
「律院を出た者は遊ぶ」と、日頃から口にしている阿闍梨にこんなことを言えば、叱り飛ばされるに決まっていた。
 けれどもしっかりと自分の考えを伝え、じっくりと話し合えば、阿闍梨様だってきっと分かって下さるはずだ。何も修行をやめてしまうという訳じゃないんだし。
 しかしそれは、確かに尊敬する阿闍梨を裏切ってしまう行為のようにも思えて、それを思うと胸が痛んだ。次の日の対話をシミュレーションしてみては、何べんもトイレに行く。高鳴る胸の鼓動を数えながら、朝が来るのをひたすら待った。
 翌る日、修行は全く手につかなかった。
 阿闍梨の表情の一つ一つを盗み見ては、今日の機嫌を伺う。普段と変わらぬ穏やかな顔をしてはいるものの、何か言えばたちまち怒り出しそうな気がしないでもない。
 言えない。
 また言えない。
 何度も切り出しかねて、結局、就寝前に打ち明けることになった。
 寝支度を終え、部屋のふすまをこっそり開けると、阿闍梨が、
「おお、どうした?」
 と聞いてくる。Kは思い切って、
「だ、大学に行きたいのですが…」
 と切り出してみた。すると阿闍梨は意外にも、
「おお、そうかそうか」
 とゆっくり頷き、
「それで?」
 とやさしく聞き返してくる。
 その静かなものの言い方が、嵐の予感をはらんでいた。
 そしてやはり十分後。
「何を言っておるんだ!」
「楽をしたいだけだろうが!」
「いい加減にしろ!」
 猛烈な叫び声が、部屋いっぱいにこだました。
 チキショー。
 Kは下を向いたまま、黙って拳を握り締めているしかなかった。
 火を吹いた阿闍梨の怒りは止まるところを知らず、最後まで、
「私は賛成せん!」
 を連呼してきたが、一度決めたらこちらも頑固な男である。何と言われようと、Kの気持ちが動くこともなかった。
 やがて去り際に、
「どうするつもりだ?」
 と聞かれた彼は、
「それでも行きます」
 とだけ言い残すと、静かに阿闍梨の部屋を離れた。
 翌朝、阿闍梨から呼び出されたKはいきなり、
「荷物をまとめろ」
 と告げられる。ショックも何もあったものじゃない。
 勉強道具や寝巻きに加えて、数珠に教本、作務衣に袈裟……、一連の坊さんセットを片っ端から詰め込んでいく。ダンボールにして、わずか二箱分で足りてしまったすべての持ち物は、六年間の節制生活を何よりも物語っていた。        
 この時Kの胸にあったのは、自分の意志を貫き通したという、大きな満足感だったという。前代未聞の大学進学。誰もできなかった申し出。そして破門。
 ボクは掟破りの修行僧だ。
 寺を後にしながらKは、久々に感じるヒロイズムを心ゆくまで味わっていた。


■幻滅


 一ヶ月後、Kは何とか志望大学へ滑り込む。
 何のことはない。英単語を十個ほど用意していったら、それで受かった。東京・谷中にある大学の仏教学科である。入学をすぐ後に控えた彼が、早急にしなくてはならないことが一つあった。
 服の新調である。
 大学で華々しいデビュー、とまではいかないまでも、まあ軽やかなスタートを切るために、「ダサい」と言われ続けた服装の方をどうにかする必要があった。何せ相手は東京である。
 雑誌を見て研究してからにしようと、本屋に入ったまでは良かったが、どれがファッション雑誌なのかが分からない。どれもこれもを手にとって、ようやく探し当てた雑誌を見ながらKは自分の着ている服とのあまりの差に、愕然としてしまった。
 これじゃあ、バカにされるよな。
 隠れるようにして入っていった古着屋の中で、彼の目に映ったのは、決まって赤や黄といった派手な色目の服ばかりだった。目についたものを二、三枚拾い上げて試着室に入ってみる。すると次の瞬間、写し出されている自分の姿に胸がときめいてしまった。
 これだ。
 嬉しくなって一気に訪ね回った店の先々で、パステルカラーの、とりわけナイロンなどの異素材系の服に目を配り、上下で何パターンか揃えてみた。靴もベルトも、もちろんカラー。
 始めのうちは目を合わせることさえできなかった店員とも、だんだんと肩を並べて話せるようになってきた。買い物を終えての帰り道、彼は服装に対するコンプレックスをもう完全にはね返していた。

 そして四月。
 待ちに待った大学生活が始まった。
 作務衣から買ったばかりの服に着替えて、キャンパスに乗り込む。学校の中はさすがに東京というだけあってオシャレな奴らが多かったが、Kは少しも気後れするなどしていなかった。パステルカラーに彩られたこの体が皆の目に映っているのだと思うと、むしろ興奮した。
 新入生歓迎パーティー、サークル見学会、飲み会に、お花見……。魅惑的なイベントの告知が、そこらじゅうでなされている。一気飲みに、一発芸。皆で騒いでいる景色を浮かべるだけで、胸がいっぱいになった。
 さらには五月に入ったある日、少し前まで一生叶わない夢だと思っていた「コンパ」が実現した。
 しかしこれが、幻滅への幕開けだったかもしれない。
 前日から上がりっ放しだった彼のテンションは、当日急激に落ち込んでしまった。
 ノリについていけない。
 何で皆こんなに騒いでるんだ。ボクはもっと穏やかに、皆で話し合いがしたいのに。だいたい、「オレの酒が飲めねぇのか?」って、あれ何だ?意味分かんない。ぜんぜん意味分かんない。
 始めのうちは楽しくて仕方のなかった街の中も、たちまち行く場所がなくなった。ギターサークルに、テニスサークル、演劇サークルに、ラグビー部……。憧れていたサークル活動は、募集のビラを眺めることだけで終了した。図書館やギャラリーといった施設に至っては、利用することすらできない。毎日ツルむような仲間だって一向に見つからない。
 夢だったキャンパスライフはその存在自体、すでに崩れかかっていた。


■神も仏もいない


 やるせない毎日を過ごしていく中で、Kの頭にある考えが浮かぶ。
 彼は高校二年の時に、ある本を読んで大変な衝撃を受けたことがあった。
 どういう訳か、律院の本棚に置かれてあった『聖書と宇宙人』というその本のタイトルは、幼い頃から理科が好きで、UFOや古代遺跡といった神秘的な謎にもひそかに関心を持っていた彼の心を一遍につかんだ。
 帯にデカデカと“神も仏も存在しない”と銘打たれていただけあって、聖書に書かれている一般的に奇跡と呼ばれているような現象を、科学的な解釈から完全に否定してみせていた。
 この本から強烈なインスピレーションを受け取ってしまった彼は、だからこそその存在を遠くへ押しやってしまう必要があった。将来は立派な坊主になる気でいたのに、その決意を近いうちに砕かれてしまいそうな気がしたからだ。
 実はその本の存在がKの中で、今までずっと引っかかっていたのである。東京へ来てからも本のことを考えた途端、危うく深みへハマッていきそうになる感覚を、もう何度となく味わっていた。
 あの本を出版した団体側と、一度連絡をとってみよう。
 律院を追い出されまでして入った大学が、思い描いていたのとは程遠い所だと知った今、それは彼に残されたたった一つの希望だった。
 恐る恐るダイヤルを回してみる。   
 電話に出た代表の人はしかし非常に感じの良い人で、話は大いに弾み、最後に、
「一度のぞきに来てみませんか?」
 と言われた時には、もう一も二もなく、
「行きます!」
 と返事をしていた。
 こうして関係の始まった団体側と、Kは次第に親密な関係になっていく。そこには、彼の話に真剣になって耳を傾けてくれる人たちがたくさんいた。月何度か開かれる集会に参加を重ねていくうち、彼はようやくここで居場所を見つけたという気持ちになれたという。
 しかしまたそれと並行して、東京の寺に移って続けていた修行の方が、カッタるくて仕方のないものになってきていた。朝のお勤めや境内の掃除にもてんで身が入らず、どうしてこんなことをしているのかさえもよく分からなくなったまま、毎日口先だけのお経を唱えていた。

 そしてそんなある日、大学の中で突然、「Kがあやしい教団に入っている」という噂が流れてしまう。
 何も知らずに学校の講義を受けていた彼は、本人に尋ねもせず、大学側が勝手に実家と寺の方へ連絡を入れたことを知った。
 大慌てで戻った寺には、すでに和歌山から両親が駆けつけてきており、寺の人たちに向かって平謝りをしている。
 もう弁解の余地はなかった。
 住職から、
「それは本当なのか?」
 と聞かれた彼は、
「確かに活動はしています。でも、決してあやしい団体ではありません」
 と主張した。しかしその直後、母親の、
「あんた、そんなとこ入ってどうなるか分かってんの!」
 という声が寺じゅうに響き渡った。さらには畳みかけるようにして住職が、
「教団をやめるか、寺をやめるか、この場で決めろ」
 と迫ってくる。
 それは、もうとっくに修行などに興味を失っていた彼にとって、むしろ都合の良いことだったのかもしれない。
 なんだか、肩の荷が下りたような気がした。
 「寺を出ます」――


     *    *

■Kの「これから」

 

Kが小学生の時に虜になった「一日回峰行」という行事に、二〇〇〇年の夏、僕も参加してみた。
 五十名ほどの参加者たちに交じって一人、小学三年生だという男の子がいた。Kが初めて巡拝に参加した時と、ちょうど同じ年齢である。
 大人だらけの参加者の中にいて一際目立っていた彼は、夕食の最中、おばさんたちからやたらとチヤホヤされており、
「ボク、一人で歩くの?」
「将来はえらいお坊さんになるわねぇ」
 などと言われながら、注目を浴びていた。比叡山へ巡拝に出かけた時も、彼は皆からいろいろと心配をされており、
「まだ歩ける」「まだ歩ける」
 と誇らしげに語る少年の表情は、実際小憎らしいほどだった。
 今回僕が歩いたコースの中で、「居士林」という道場が山奥にあり、そこで多くの小僧たちが修行に励んでいた。
 現在、三年間の籠山行をしている彼らは今、座禅三昧という厳しい修行の最中だとかいうことで、まる九十日間を不眠不休で座り通すため、命を削っているところだった。修行がスタートして半月あまり、異様にギラついている彼らの目と雰囲気には、鬼気迫るものがあった。
 この修行を行っていた小僧の数は意外にも多く、ちょうど僕くらいの年齢の若者数十人が、横四列にビシッと並ばせられて、先輩弟子から朝の点呼を受けているところだった。ざっと見た感じで、三、四十名はいただろうか。
「はい、かけ声−!よんっ、はちっ、にっ、ろくっ……」
 この情景を上から眺めていた僕は、何だかとても息苦しく思い、もしもあの中にいたなら、自分の存在を見失ってしまいそうだと強く感じた。
 数ある隊列の中の、一つの数字に過ぎなくなってしまった自分。
 さらには何年もの間、俗界と徹底的に隔離された環境におかれて、僕は果たしていつまで「自分」という概念を持っていられるか、甚だ不安に感じた。
 そしてその感じは、巡拝へ出る前にもあった。
 阿闍梨と一緒にお経を唱えていた時のことである。厳粛な雰囲気の中で行われる勤行は、犯しがたい一種の「気」に充ちており、両手を合わせていると何だか、経の世界へ引き込まれていくような感じがした。こんな生活を毎日続けておれば、寺を出ていこうなんて考えは一つだって起こらないだろうという気がする。そこに個人意思の介在する余地はないように思われた。
 律院を飛び出したKもまた、自分の存在を確立しにいった寺において、逆に自分自身が消えてしまいそうになることを感じていたのではないだろうか。
 彼の今の服装に、過剰なまでの自己主張が感じられてしまうのは、そんな生活の反動が働いているせいなのかもしれない。
 現在彼は、新しく入った団体の中で精力的に活動してはいるものの、僕にはまだまだ、危ういという感じが拭えないように見える。
 修行時代、二年近く付き合ってきた彼女には、
「他に好きな人ができた」
 という理由でフラれた。
 中学時代からよく寺へ遊びに来てくれたという一般人の親友には、
「僕は頑張ってるキミが好きだったんだ」
 と言われて絶交された。さらに彼は今、
「料理人になりたい」
 と話しており、しばらくしたら寿司屋の面接に行くという。

 律院の坊さんの話によれば、いまだに多くの教育機関から、Kが以前出演したテレビ番組への問い合わせがあるらしく、非常にすぐれた教材や参考資料として役立っているのだという。PTAの父兄は皆、
「若いのに、今どき珍しい」
「これをうちの息子にも見せたい」
 などと言いながら、喜んで借りていくらしい。その後、彼らの口から漏れる言葉は一様に、
「ああ、うちの子に、このKさんのかけらでもあれば……」
 であるという。
 修行僧Kは、今も一人歩きをしている。


■二つの叡山


 彼の現在の住まいは、東京・上野にあるマンションで、同じ団体の人たち三人と共同生活をしている。
 半年通った大学を中退後、川崎に引っ越してしばらくはアルバイトをしていたが、二人暮らしをしていた彼らから、
「一緒に住まないか」
 と誘われ、移り住むことになったのだという。
 僕は今年の春に、そのマンションを訪ねた。
 玄関口で僕を迎えてくれたKは、前回とは別タイプの宇宙服を着ており、首筋から口元へかけて、ワイルドな顎ヒゲを生やしていた。少し雰囲気の変わった彼は、僕のことを、思い出したように、
「コモさん」「コモさん」
 と呼ぶと、そこにいたメンバーの二人へ丁寧に紹介をしてくれた。
 何度となくトボけた答えを返すKのキャラクターは、同居人たちの心をしっかりとつかんでおり、彼がここで愛されていることを感じさせた。気の合う二人と話す彼の表情もまた、じつに生き生きとしている。
 青春時代のすべてを注ぎ込んだ修行生活は、Kにはすでに遥かな思い出となっており、
「毎朝五時半起きかー。しかしスゴいよなぁ」
 と彼は当時のことを、他人事のように語る。
 彼を彼たらしめた、ボロボロだったかかともまた、跡形もなく消え去った。
 
 その日、彼の部屋に泊めてもらうことになった僕が、帰りの時刻表を調べていた時のことだった。突然、僕のそばまでスリスリと近寄ってきたKは、そのページを東京周辺マップのところまで移すと、
「ほらほら、ここに“寛永寺”ってあるでしょ。実はね……」
 と言って、非常に興味深い話を聞かせてくれた。――

 
     *    *


 彼らの住むマンションの近くには寛永寺という寺があり、歩いて数分の所には不忍池という池がある。
 その昔、徳川家康のブレーンだった天海僧正という坊さんは、最澄が京都御所の鬼門にあたる位置に延暦寺を建てたのにならって、江戸城の鬼門にあたる位置に寛永寺を建て、これを西の比叡山に対して、東の叡山、つまり「東叡山」と名づけたらしい。
 この坊さんはさらに「不忍池」を琵琶湖に見立てたうえで、竹生島の代わりに「弁天堂」を造り、京都東山清水寺の代わりに「清水堂」を設営して、西にある地形をまるごと東京へと移し変えたという。
 比叡山を飛び出した先で彼を待っていたのは、同じ、叡山の仏さまだった。
 Kを今も見守っていたもの、それは紛れもない、もう一つの叡山である。
 彼は今も、叡山のほとりで暮らしている。

 



 

 


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